カタガキ [diary]
それなりにいろいろ持ってます。
お金と時間をつぎ込んで手に入れたものもあります。
お金と時間をつぎ込んだだけでは手に入りませんが。
手にした途端の責任感。titleに中味がついていけるのか不安になったり。
認められてると感じて、有難く思うし感謝の気持ちと、自分への誇りも。
だからって、慢心して驕り高ぶっちゃいけない。
何も偉くない。
あるのは責任。
自分の立場に求められてる責任を果たすだけ。
それに見合った報酬や社会的立場をいただいてるだけ。
それ以前に、はだかの自分を見て欲しいし、認めて、求めてもらえたら嬉しい。
自分という存在が、この世に生きてる意味があって、誰かの役に立てる価値があると、自分で信じるしかない。
カタガキにたかるアリンコさん達や、過去の未熟という偏見レンズのメガネザルさん達。
どっちも今の中味は見てもらえない悲しさ、もどかしさ。
用がなくなると、人のカタガキ喰い散らかして、次のカタガキへと消えていく。
逆もしかり。
カタガキがなんであれ、その人の存在が自分にとって必要であれば、たいせつであれば、それでいい。
目の前の人が(テキトーに思いついたまま書くけど)社長さんだろうと、店員さんだろうと、お医者さんだろうと、ハウスキーパーさんだろうと、それ以前に1人の人間。
カタガキというフィルターを通してしか見ることができなかったり、カタガキという基準で人の順位をつけたりするのって、非常に非情でひどいじょー・・・m(。≧Д≦。)mスマーン!!
なんて、こんなこと、ここんとこ思うことあったら、同じような内容の記事やブログ読んだりして、いろいろ考えてしまいましたとさ。
それと、この歌 ↓ 聴いたら余計にそう思った。
これは英語なんだけど、マッキーが歌う日本語の歌詞が好きで、でもようつべなかったの(´・ω・`)ショボンヌ